第5回協働型災害訓練 in 杉戸

今年も残すところあとわずかとなりました。東日本大震災から6年が過ぎ、来年の3月には7年目を迎えます。そして、その復旧・復興支援に当たってきたNPOや災害ボランティアたちが埼玉県杉戸町で始めたこの「協働型災害訓練」も今度の2月で5回目を迎えます。

協働型大規模災害訓練とは?

マスコミ的にはあまり目立ってはいませんでしたが、東日本大震災で活躍した市民キャビネット災害支援部会の3,000に及ぶメーリングリストのNPOやメンバーもこの5年でかなり数も減り、顔ぶれも変わってきていると思います。
実際に直後の被災地に入り、あるいは阪神大震災以来、様々な被災地で救援から復興までを支援してきた強者(つわもの)もいれば、今度の首都圏直下、南海トラフの危機感から新たにメンバーに加わった仲間やNPOもいます。かなり、プロもどきのボランティア(プロボノ)もいれば、個人の活動でなく、きちんと組織化、法人化されたNPOや団体も増えてきました。

同時に、ここ数年の教訓から、災害ボランティアの行動、活動の在り方が変化してきました。災害ボランティアが、全く個人的に予備知識もなく現地入りするリスクも広く理解されるようになり、ICSの重要性はまだ認識されていないとしても、ある程度のITも含めて必須スキルや基礎訓練の重要性と、組織化や団体間のネットワーク、連携の重要性も共通理解を得られるようになってきていると思います。

また、各基礎自治体、社会福祉協議会、県や国の機関もそうした市民のボランティアの有効活用の重要性を認識し、各「連携」「協働」「ネットワーク」を重視し始めてきました。
それでも現実的には、行政の災害対応部局、例えば「危機防災課」「危機管理課」といったセクションの担当者が災害ボランティア対応や市民活動担当経験があったりすることは珍しく、社協に災害対応専門の人材がいることも少ないのが実態です。その意味で「公助」の側に「災害ボランティア」の有効活用をまじめに考えているところはまだまだ少ないのが現状と思えます。

ここで「協働型大規模対応災害訓練」の呼びかけが行われてきた経緯や教訓、この5年に及ぶ試行錯誤を振り返り、今回、新たに埼玉県の登録・災害ボランティア制度再編からスタートしている「災害ボランティア団体の対話の場・彩の国会議」までのさらに広がりを見せてきた災害ボランティア活動の成果を共有することも大切かと思います。こうした機会を埼玉県を「災害対応ボランティアの先進モデル」にもの期待を込めて、その意味で少し長いのですが、まとめることができればと考え、筆をとりました。

まず、災害ボランティアを中心とした「災害対応」には、災害の規模、種類によって災害訓練は異なります。それは当然「自助」「共助」や公的な救助機関の出動、いわゆる「公助」もそれぞれ違いがあるでしょう。神戸・阪神大震災のように都市型地震災害、東日本大震災のように各県にまたがる広域災害、津波被害から最近多発している内陸部や山間部での災害など、活動団体や参加するボランティアも多種多様でした。そして、そこから得られる教訓も様々かもしれません。そこで重要なのが第一に「災害の規模」だと考えます。そして、第二にその「災害の時間軸」に合ったスケジュールやストーリーでしょう。

今回、私たちが想定している災害は、東京を中心とする「首都圏直下型大地震」、つまり、かなり「広範囲」で「大規模」であります。まずはその「発災」時からどのような状況が想像できるか。
そこを前提に、日本が首都圏に一極集中で発展してきた国であるが故の政治・経済的な混乱や20万人の自衛隊員を動員したとしても不足する救援・救助組織、「公助」の絶対的な戦力不足を、戦時の「民兵」組織のような「災害ボランティア」のネットワーク組織が必要ではないか、というところで、様々な「公助」と協働できるネットワークづくり、全国からの支援も含めて災害対応のNPOや市民ボランティアとの連携や協働を視野に入れた「協働型災害訓練」の重要性が指摘されました。

実際、神戸・阪神の場合は、私の個人的な感想でも阪神に暮らす兄夫婦家族の安否確認という「やむに已まれぬ私情」のような「個人的」ボランティア、あるいは近隣の住民による自発的ボランティア活動という自然発生的な「共助」活動が中心でした。実際、自助7割、共助2割、公助1割ともいわれ、遅れた、あてにならない「公助」を補完・補助する形で「ボランティア元年」と呼ばれ、のちにNPO法が成立するきっかけにもなりました。同時に、わずか30分から1時間の距離の大阪や東海地方に出ればどこに災害があったのかわからないほどの日常生活とのギャップも感じました。
それに対して東日本大震災では、首都圏でも震度6の被害があり、被災地が数県にわたる大規模災害であり、初動から「公助」は10万人の自衛隊の動員がスピーディでしたし、米軍や各県などとの連携もありました。災害ボランティアに関しても政府が呼びかけたように、個人でのバラバラな支援ではなく、できるだけ組織化された、自立して自給できる、「自給自立型・災害ボランティア団体」を求めました。
それでも行政や政府がコントロールすることが難しく、大量の個人ボランティアが現地入りし、相変わらず行政や支援機関の「ムリ・ムダ・ムラ」のある、時には犯罪まがいの事案があったことは他の項で述べているところでもあります。だからその後、情報共有の中での「ネットワーク」の重要性が繰り返し指摘され、「IT×災害ボランティア元年」という情報社会の中での災害ボランティア活動がこの数年の動きであると思います。

行政機関との連携を含めて、各組織、団体がITスキルやツールを活用して「協働」する重要性が共通認識になったのだと思います。同時に、そこに共有すべき「ルール」や「言語」「行動指針」や「組織化」の「標準化」が求められ、それを私たちは災害マネジメントのICS(インシデント・コマンド・システム)だとしているところです。

その普及と実践のために、私たちはこの5年間、埼玉県杉戸町に結集して実際に協働する図上訓練を実施してきたのです。繰り返しになりますが、私たちのこの「大規模災害対応協働型訓練」の目的が、多種多様な災害対応組織の「ネットワーク」づくりと、そのマネジメントのICSの学習と普及だということをまずはご理解ください。

ICSに関しては、今回の2日目にかなり詳しく学習、訓練が予定されてますが、第4回目の報告・記録にも取り上げています。そこでも述べていますが、「アメリカでは災害や事故の規模に応じてIncident, Emergency, Disaster, Crisisの4段階に分けていますが、災害のマネジメントでなぜ「Incident Command System」なのかというと、一番小さな災害事故やイベント運用のシステムを学習することでどんな種類の大規模災害まで対応できるという考え方があるといわれています。」
想定される「首都圏直下型大規模災害」は、まさに一番大きなDisaster,やCrisisですが、それをこの小さな規模の「協働型訓練」というイベントを実際に動かすことで体験的にICSのシステムを学習・運用することに意味があります。どうぞ、参加者の皆様もこのイベントを同じ原理・システムで「協働」して成功を目標に学びあえればと念じています。

 

なぜ、杉戸町か?

私たちの想定する災害は「広域で大規模」な「首都圏直下型大震災」であるということは、想定される被害は東京23区は元より都下、神奈川、千葉、埼玉や茨城など近県にまで及ぶ被災地域が考えられます。それでも自力復旧可能な周辺地域から、直下の23区内や津波により壊滅的な大規模の被害が想像できる地域もあり得ます。
少なくとも震度7以上の東京直下型地震の場合は、政府の機能や官庁街、ビジネス街も大きな被害から素早い対応が遅れるとともに、3日間の東京都内への救援、公助機関以外の出入りは制限され、閉じ込められた東京都内の被災者は自力救済(まさに「自助」「共助」)しかない時期が出るでしょう。
意外と知られていませんが、私が体験した豊島区と東京都の訓練では、近隣の体育館などの避難所は住民のもので豊島区民以外の旅行者、通勤・通学の人々は入れません。それゆえに前回のような緊急車両の交通を阻害する「帰宅難民」をあふれ出さないように、事前協定された大学や駅構内、近隣の商業ビルや民間企業の建物に一時疎開、避難所開設して、順次周辺地域への避難誘導がシュミレートされていました。しかし、現実にはあふれ出た帰宅困難者を全て吸収できる外部用避難所はまだ確保されてはいないところで、どんな状況になるかは想像できません。

つまり、中央防災会議などが想定する被害で国道16号線以内の住民は自分たち自身が被災者で、「自助力」と「共助力」の向上が喫緊の課題です。消防、救急車、都内の自衛隊の人数は、想定される1千万人以上の大都会には少な過ぎるからです。
同時に、被災を免れた地域や東北地方から集結する救助隊や物資は、16号線から外側のどこかに集結、集積して前線基地を作らなければなりません。恐らく国は常磐道方面は守谷、東北道は久喜辺りを想定しているでしょう。災害対策本部は立川に移転、設置されると思います。そこで、久喜市に隣接する倉庫の多い杉戸町はそうした条件に当てはまる候補地と私たちは考えました。そして、「協働型大規模災害訓練」を杉戸町で実施することにしました。

さらに、元々杉戸町が富岡町との友好都市関係から東日本大震災で原発事故避難の福島県富岡町、川内村とその支援を行い、先進的な活動を行っていたこともあり、国土交通省の「広域的公助モデル推進事業」に採択されたことを契機に、杉戸町・富岡町・川内村地域間共助推進協議会が設立され、その母体が事務局となってこの「協働型広域大規模災害訓練」というスキームが杉戸町で実施されることになりました。(この辺の詳しいことは、事務局長の豊島氏が内閣府国土強靭化推進室のインタビューに答えてうまくまとめていますので、そちらをご参ください。)

それでも当初参加した杉戸町の職員や自主防災組織の住民たちは、全国から参集したNPOや災害ボランティアとの「協働」の意味がよくわからず、例えばDIGにしても杉戸町の地図を広げてのハザードマップで、「杉戸は比較的災害に強い」という認識、HUGにしてもこんなに多い外部ボランティアとどう向き合うのかといった戸惑いすらありました。
それが第4回目になると、杉戸の被災状況という視点でなく、行政職員がもっと広範囲の災害対応の重要性や地域間連携の意味を理解し、杉戸町が東北からの支援部隊を受け入れる中間支援衛星都市としての「後方支援自治体」という認識を示すようになり、その発表はかなり感動的なものでした。訓練が自治体職員の意識を大きく変えてきたという実績です。
その意味でこの継続的な訓練は、いまでは首都圏での大規模災害に対して周辺自治体が「後方支援自治体ネットワーク」という前線基地の役割を担うことが共通理解になり始めています。これは大きな進歩です。まさに杉戸町でのモデルは、「広域的共助・公助モデル」として国の示してきた以上の効果を生んでいると評価できるでしょう。

後方支援自治体とのネットワーク強化

それでも私たちのような16号線以南の住民・市民は想定される大規模災害に直面することを想像すると全く異なる対応を検討すべきかもしれませんが、今回はそれをとりあえず置いておいて、全国、特に関東、上越、東北地方から救援に来る災害ボランティア団体とのネットワーク、自衛隊をはじめとする救援組織「公助」との連携を模索することが中心となります。その受け皿作りを「後方支援自治体」ということで埼玉県杉戸町をモデルにしています。そのための広域でのネットワークづくりを、行政としての埼玉県庁にもお願いしてきましたし、今後率先して県内の衛星市町村のネットワーク化推進の協力をお願いしたいと思います。

よく言われるように最近の首都圏の「県」の役割は、政令指定都市が増えて、例えば神奈川県庁の職員が、横浜、川崎、相模原と中心部に大きな政令指定都市があることから自虐的に「県庁は周辺部の足柄郡庁に過ぎない」と揶揄するような状況があります。地方分権が強まり、さいたま市(120万人以上)のような政令指定都市では裁量権などに大きな違いがあるのかもしれません。
私の経験からも東日本大震災時の県庁やさいたま市の災害対応部局はかなりスムーズでしたが、途中で高速道路の通行許可がわざわざ県庁まで来なくても各市町村でも発行が可能になったと聞き、出動する近くから出られるようになったとのことで市役所に行き交渉で課長は出せると言っておきながら、予約当日窓口に行くと「課長は出張中で聞いていない。少なくとも公印を押すには5日は必要だ。」と言われ、結局、県庁へ回っての出発となったことがありました。それまでにも様々な現場でのたらい回しは災害時の常ではありましたが、こうした情報の行き違いにどれだけ災害ボランティアは泣かされてきたでしょうか。

あるいは、支援物資を市町村単位で集め、その仕分け用にとボランティアを集いながら、被災地から個別での物資は送らないでくれと断られたり、せっかく集めたボランティアは個人情報保護の名目でリストすら提供されず、まったく活用せずに胡散霧消したなどの例は多数耳にしました。周辺市町村では何をしていいのかわかっていないことも多いのです。社協にしてもボランティアの活用法や受付の効率化の進歩がないままに、紋切り型の災害ボランティア・センター(災害VC)立ち上げ訓練を実施しています。明らかに固定した平時・災害時を通したマネジメントや災害対応リーダーが不足しています。

そこでこの「協働型大規模災害訓練」は、こうした訓練に至るためのネットワークを強化すべき段階に入っていると考えられないでしょうか。それはこの杉戸町をモデルに後方支援自治体の連携を作ること。各NPOや災害ボランティア団体をさらにネットワーク化すること。そして、共にICS学習や普及を通じて、各組織やネットワークの情報化を推進してきことです。市町村や県の防災組織の強化が常に町会などの住民の自主防災組織を念頭に行われているのが現状ですが、この訓練を通じて大規模災害には全国規模での災害ボランティアとの連携や内部ボランティアの養成が欠かせないことを啓発できればと思います。

今回の第5回目の訓練は、前半が以前より取り上げてきた「福祉避難所」を中心とした問題に(これについては第4回の報告でも少し触れましたが、参考に要援護者トリアージの映像をご紹介しておきます。またいつか別項で取り上げたいと思います。)また、顔の見える関係作りから「防災まつり」の要素が大きく、そして、後半2日目はICSの実践的訓練に重きが置かれていますが、今後はこの訓練にできるだけ周辺自治体を参加させることでの「後方支援自治体」のネットワークづくりとNPO、災害ボランティアの連携を広める枠組みを考えていくことに方向性をもたせることができればと希望しています。
ここから先は、久喜市、熊谷市、本庄市、行田市など周辺地域と埼玉県庁などとの「協働」にかかってくるのではないでしょうか。そこが本来の「市民キャビネット」活動の政策提言などに結び付くことも必要なのかも知れません。

ICSは現場での「緊急時総合調整システム」と訳されています。それは様々な機関との調整、連絡やコーディネート機能の役割を持つマネジメントのことでもあります。当然、各NPOや災害ボランティア団体との調整機能を学ぶ2日間ではありますが、5回目になるこの訓練が、埼玉県あるいは皆さんの活動する地域での行政とのコーディネーターとなるきっかけになれば、「後方支援自治体」連携構想の実現はさらに進歩するでしょう。それこそが杉戸町から発信するこの訓練の最大の成果になると思います。また、その役割こそ今時点での災害ボランティア・リーダーの役割ではないでしょうか。(終)

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