はじめに
私たち市民キャビネット災害支援部会が「協働型災害訓練」をこの5年間続けてきたのは、7年前の東日本大震災での教訓や反省から、来る首都圏直下型あるいは南海トラフの大規模災害にどう備えるべきかを考えるからに他なりません。
特に地域での災害対策が基礎自治体を中心とする自主防災組織の、どちらかというと居住地域防衛や対応という視点に対して、想定される被害も広域で他地域をまたぐ、都や県境を超えての対応が迫られる大規模災害にどう対応できるか。だから地域を超えた「連携」を想定した広域連携や共助体制をどう作れるかに問題意識がありました。
実際、東日本大震災時には、全国3,000に及ぶ各地のNPOやボランティア団体のネットワークがあったこと。埼玉県浦和大久保合同庁舎内に今の事務局であるNPO埼玉と共同事務所のNPOハウスがあり、施設が入れ替えのために大きな倉庫として使えて支援物資の集積地があったこと、が挙げられます。この施設には「災害ボランティア・地域コーディネータ養成研修」などの大会議室もあり、また、たまたま連合系や当時の政権与党だった民主党系市民団体との付き合い、緊急出動できる救助犬団体や災害航空NPOといったヘリコプターの団体など、各リソースと公助との連携も比較的スムーズであったともいえます。
ですから、こうした「教訓」を活かして、各地のNPOとの連携を再構築すること。NPOや災害ボランティアに限らず、行政、消防、警察、自衛隊などの「公助」との連携を進めるべく、また今後の政権与党に米国のFEMAのような災害ボランティア養成機関と連携マネジメント組織を要望してきました。今のところ残念ながら、日本版FEMAは作られないことになりましたが、民間、市民側だけでもICSの啓発活動で、「協働型大規模対応」ができる活動を自主的に進めてきました。
そのために年に1回、各組織が集まった「防災まつり」のような「協働型災害訓練」を開こうということになったのだと思います。
震災後、そうした思いは各地や各団体も同じようで、様々な「災害ボランティアネットワーク」を名乗る活動も広がっています。そして、NPOの栄枯盛衰でメンバーも入れ替わり、7年前を知らない仲間も増えてきています。私たちはこの間、災害マネジメントのシステム化としてICSを共有することに努めてきました。
しかし、今回、5回目を終えた段階で「防災まつり」としてのイベントではなく、「災害訓練」としての「質」も考えなければならないのではないかと考えます。
確かにまだまだICSが普及したとは思えません。COPのような新しい考え方や方法論も進化していく中で、小さなICS勉強会なども大切になってきていると思います。それでも今回の大いなる反省は「訓練」の運営があまり進化していないことにあります。要するに、時間の経過とともに、参加者の質の変化や時代の変化に応じた、新たな「協働型訓練」のモデルを検討すべき時期に来たのではないかと考えます。
そこで、そうした問題意識で、今回は協働型訓練のもうひとつの完成度を上げる必要のある「訓練」方法についてまとめてみようと思います。
「災害ボランティア」の現状
ここで自治体が作る「自主防災組織」と「災害ボランティア」の違いを定義しておきましょう。もちろん、それは重なりあい相互に補完するものですが、あくまでも自主防災組織は地域住民による住民を守るという地域の災害対応に主眼があり、DIGをするにしてもその市町村の被害状況イメージがメインテーマになります。
それに対して、当然、自分たちの生活圏や居住地が被災地の場合は、災害ボランティアも自主防災組織と同じで連携して「内部ボランティア」としての「自助」「共助」、そして外からの支援に対する「受援力」として活動しますが、災害ボランティアとしては、広域災害や遠方での災害対応も想定して「支援力」の向上にも努めている点が挙げられるでしょう。
ですから、災害ボランティアは広範囲の団体がネットワーク型で情報を共有し、連携して協働で災害対応にあたる体制作りを必要としているのです。そのためにこそ「協働型災害訓練」が重要であり、各団体、行政などの「公助」との連携、そのICSの共有などが不可欠だと考えているのです。
もうひとつ、首都圏での災害ボランティア・ネットワークの現状を考えてみましょう。災害救援ボランティア推進委員会の専務理事でもある天寺事務局長によると、首都圏で、神奈川県は災害ボランティアネットワークが各市町村にできていて、特に横浜や座間市が活発で、その市町村のグループが県での連携ができているそうです。
千葉県では、県社協が力があって、各市町村の社協に呼びかけて、社協中心の災害ボランティア連携のネットワークができているとのことでした。首都直下型のお膝元の東京は大き過ぎて具体的なネットワークはないに等しいのでしょう。
それに対して埼玉県の現状は、前回の第1回「災害ボランティア団体」の「彩の国会議」では、普段は福祉・介護やまちづくりなど多様に活動するNPOや団体が多く、災害ボランティアに特化した組織が少ないように感じたとのことでした。
とりあえず埼玉県は「千葉県型」を目指して県社協中心に進めようとしているのかもしれませんが、埼玉県社協が福祉系中心の活動業務が主な仕事で、特に力を入れて「災害対応」や「防災」に関心を持って部署や人材を配置しなければ有名無実で絵に描いた餅になりかねません。県内において災害ボランティア団体を特にどう組織化するかが、今後の重要なポイントになるのではないでしょうか。
災害訓練(図上訓練)の種類
さて、私たち「災害ボランティア」側のリソース、状況が多少わかったところで、今度は災害ボランティアにとって、また「協働型」とはどんな「訓練」が必要になるのか、考えてみましょう。
まず一般的に図上訓練はいくつかに分類されています。大きく分けると「条件付与型訓練」と「状況予測型訓練」に分類されるようですが、国や行政機関のように各セクションがきちんとしている部署や部門のチェックにいい「条件反射」的な訓練(条件を矢継ぎ早に出す」付与型)より、想定される「災害」のイメージ・トレーニングと、そこからそれぞれがどう「対応」するのかのロールプレイング方式の図上シュミレーションを必要とする災害ボランティア団体にとっては、付与される条件は少ない「状況予測型訓練」が適しているのでしょう。
特に災害対応は国や行政レベル以外では医療救護機関が優れていて、ICSに関しても今やバイブルともいえる基本ガイドブック※を出版しているのも公益社団法人日本医師会だということからもわかります。「訓練」においても阪神・淡路大震災、東日本大震災の教訓を生かし、災害医療は初動の応急医療を中心に限られたリソース(保有資源)の配分など適切で迅速な決断が重要ということから各機関ではいち早く体制強化や対応訓練に組織を挙げて取り組んでいるのだと思われます。そして、多くが「状況予測型訓練」を実施ているようです。
医療関係機関の多くは、事前に災害状況を十分に想定(イメージ)して、対応を検討し、図上訓練を重ねているようです。そこでは状況付与なし又は最小限にしての「状況シナリオ創出型図上訓練(イメージトレーニング方式の図上訓練)を行っています。つまり、本部要員の高度な意思決定能力(危機管理能力)が求められ、情報が不十分な中での状況予測能力が重要なことから、これらの能力向上のために、訓練参加者に対して必要最小限の状況データをを与えて、それを手掛かりに管内でどのような状況が発生・進展するかを予測させるとともに、それぞれがどのように意思決定と役割行動が求められるかを答えさせる訓練を目的としています。
また、同じく地方公共団体で実施されている図上訓練も、それに加えて「ロールプレイイング方式」を加えて、災害時に近い場面を想定して、訓練参加者が与えられた役割で、災害を模擬的に体験し、様々な方法で付与される災害状況を取集・分析・判断するとともに、対策方針を検討するなどの災害対処活動を行う訓練が最も普及しているようです。
これは対策本部を対象とした場合が多く、医療従事者や行政職員という標準化された構成員を想定しているため、本部要員のイメージや役割を重視できるからでしょう。この場合、進行管理者(コントローラー)はシナリオに基づき進行し、綿密なタイムスケジュールに従って実際に災害が発生した時の現場と酷似した体験のイメージ作りで訓練を仕掛けていきます。訓練参加者(プレイヤー)はシナリオを知らされず、実際の現場で起こしやすい失敗の発見や迅速で適正な対応が可能かなど実戦的な効果が得られると実証されています。
当然、それぞれ複合型でできるだけ図上訓練の限界を補い、それでも実際上の参集や本部、施設、部隊の立ち上げなど実働訓練も適宜合わせて補完していくことが求められています。
実際、訓練にはそれぞれ目的、対象者、状況付与の手段や方式などによっても、簡単なものから複雑なものまで多種多様なものがあります。訓練参加者の対象、情報伝達の手段・方法、訓練参加者の動き方だけでもそれぞれの企画によってのメリット、デメリットが考えられます。
特に「協働型訓練」が実在の組織での多数の関係機関や団体との連携の検証なのか、仮想の組織なのかによっては、企画準備に多大な時間と手間を要します。仮想の組織編成の場合は、具体的かつ現実的対応行動が検討しにくいなどのデメリットもでてくるでしょう。
訓練参加者の動きも、検討中心(Discussion-base)の場合は企画準備は楽ですが、臨場感や実行可能性の検証が十分とはなりません。また、対応中心(Operation-base)では臨場感もあり、災害時対応を模擬的に体験できますが、企画準備が大変なうえに、参加者の質が問題になります。
実際の訓練を効果的にバージョンアップさせるためには、当然、実戦に耐えうる能力の向上にありますが、イベントとしての「協働型訓練」の再考には、初心に帰って訓練に関する5W1Hを見直して、訓練目的から再検討する必要が出てくるのではないでしょうか。
知る・学ぶから訓練する意義
いくつかの訓練の種類を見てきて気が付くのは、私たちの訓練への参加団体や個人の変化です。最近の数回は「防災まつり」的なイベントとして1日目は、おおむね「知る」「学ぶ」時間となります。杉戸町、富岡町、川内村からの関係議員さんや行政職員など来賓が登壇しての挨拶などのセレモニーがあり、毎回、富岡と川内村の災害エスノグラフィーで原発事故での避難や避難所での暮らしや課題を「知る」時間もあり、午後は新しい災害に関する「知識」を学ぶことができます。
参加者は平日ということもあって行政関係者も多く、地域の自主防災組織の方や初めて参加する方でも講師の話を聞くなど座学中心でもあまり問題はありません。それでも今後益々、過去の体験・経験からの「教訓」だけでなく、恐らく想像を絶するプレート型の「南海トラフ」と断層型の「首都圏直下型」大震災のイメージトレーニングは不可欠となるでしょう。
しかし、2日目の「訓練」となると参加者の類型によっては課題が出てきます。特に5回目となると同じシナリオで全く意味のない集まりとなる可能性も出てきます。この間、何回となく「知る⇒学ぶ⇒伝える(行動する)」という流れが共有されてきたと思いますが、まさにこの最後の「行動」することこそ「訓練」と言えるでしょう。つまり、そこへ帰結しなければ訓練としては成功しないのです。2つの例をあげましょう。
ひとつは「正常性バイアス」と言われるものです。ある実験で80名の任意の市民を集めて映画館に観客とします。そこで突然「火災です。避難してください。」というアナウンスを流しますが、誰も動かないという実験です。その後、何度かアナウンスを流し、時間経過を観察すると数人が動き始め、ある程度の人数が避難行動に移り、最後まで逃げなかった方が2割近かったという結果が出ました。この間、親しい仲間には相談しながら、だれも「逃げましょう」と声を上げる者もいませんでした。
また、避難行動は、それぞれが近い避難口を使わず、最初の人たちが出ていった出口に殺到しました。まさに自分で「判断」したというより付和雷同した形です。そして、最後まで逃げなかった方たちの言い訳けは、「本当なら係の誘導があると思った」といった、一見冷静で論理的なようでいて他力本願的な主催者・施設や係側への依存が大きいことがわかりました。
もうひとつは、有名な浦和の小学校での事故です。運動中倒れた女児が保健室に運ばれました。ベッドの周りに5、6人の教師が見守りながら、誰もAEDがありながら取りにもいかず救命・救助行動も起こせず、救急車の到着を待っていたのです。残念ながら児童は死亡してしまいます。その後の言い訳で死ぬ直前の呼吸「※死戦期呼吸(しせんきこきゅう)とは、心停止直後の傷病者に見られる、しゃくりあげるよう な呼吸。現場や救急室では「ギャスピング」ということが多い。」を見て、誰かが息をしているからといったそうです。そこにいた先生方は、その言葉を信じ、そして「死線期呼吸」ということを知らなかったということです。
彼らはAEDの存在も使い方は知っていました。講習会も受けた方もいたそうですが、誰も動こうとはしませんでした。その結果は悲惨な結末です。救えた命だったといわれています。この事件を契機にこの言葉が知られるようになり、ともかくわからなければAEDに聞けという教訓となっています。
Morning briefing for search teams at Boulder Airport. Photo: Michael Rieger/FEMA
「実践・実戦」とはこういうことを言うのだと思いませんか。この時、現場に災害対応ができる市民リーダーがいたらどうしたでしょうか。私たちは情報社会に生きています。わからないことがあれば簡単にネットで検索できます。上記の「死線期呼吸」もネットの引用です。しかし、それをどんなことかもっと詳しく知らべ、医療関係者に聞いたり実例を「学ぶ」ことでそのことを理解し、実際の現場に遭遇した時に判断を間違えないように納得、習得しなければ、とっさの時にわかるかどうかわかりません。簡単に知ることができる知識が、本当に理解し体得していることとは限りません。「わかる」から「できる」までには落差があります。まさに「知った」だけの、知ったかぶりに過ぎない場合もあります。
だから他の人に「伝える」ことや自分で「行動」できるまでの「訓練」が大切になるのではないでしょうか。
寄せ集めの混成部隊の訓練
私が受けた訓練でこうした理解を深めた体験が、在日米軍消防本部のまだ現役だった日本人トップの熊丸氏の開いたCFRの救助訓練でした。「消防筋肉」の鎌田教官のトレーニングも非常に勉強になりました。そして、座学だけでなく、こうした体を使った「訓練」の重要性を認識しました。災害対応や避難訓練の重要性は、その訓練の中身や構成にあります。その時大事なのが参加者やメンバーの意識、質や関係性でもあります。
同じ知識や言葉を共有し、同年代や同業者、同じ職場や団体かといった参加する人間によって当然、訓練やトレーニング法は変化せざるを得ません。私たちは自衛隊員や医療従事者だけではないからです。それでも災害ボランティアとしての「経験+知識+使命」が共有できれば組織的な行動や連携は取れるかもしれません。あるいは会社などのBCP訓練なら効果があるかもしれません。しかし、最近の参加者を見るとボランティア初参加の方もいれば、一般市民や町内会の自主防災などの方も混合しています。まさに地域でのイベントや市民祭りで集まった人々並みに実に多種多様です。
そこで従来のように災害ボランティアやNPOといった、同じ釜の飯を食った感覚で、安易に同じように言葉を並べても恐らく理解していないことも多く、臨場感やスキルアップには必ずしも結びつかないのではないでしょうか。
悪くすればICSなどもわかった気になってしまうだけで、自分の団体や地域に戻って普及推進させるリーダーになってくれるとは限らないのではないかと不安になります。まして、普段、災害対応専門でないNPOやボランティア団体の方々が緊急時にどれだけ私たちが期待するリーダーになってくれるのでしょうか。従来のような経験や知識を共有する寄せ集め部隊の訓練よりもっと多様性を持った市民向けの訓練をイメージすることが求められてきているのではないでしょうか。
ちょっと脱線しますが、武道やスポーツの習得法で、例えば空手と少林寺拳法、合気道や護身術との違いを聞いたことがあります。空手は、入門すると砂に手を突っ込んで一から鍛える。何歳であっても手を鍛えて同じように固く強くし、まるで棒や武器のように鍛えて戦うのに対して、後者は10歳なら10歳、60歳なら60歳のあるがままの体力や肉体でいいから、相手の弱点や力を知り、そこを利用して戦うという違いがあるというのです。
その真否はわかりませんが、この話を聞いてヒントになりませんか。
つまり、市民ボランティアはまさに老若男女の混合部隊です。年齢や体力だけではありません。経験や知識面でも大きな差があるかもしれません。NPOということを初めて知った方もいるかもしれません。実際、今回、国の機関や行政でも事業者でもない、民間の市民ヘリコプターのNPOがあることを初めて知ったという参加者がいました。
しかし、元々市民社会はそうした人々から成り立っています。玉石混合は当たり前なのです。ですから全く架空のICS部隊を想像しながら空想する訓練では、その分、よく災害や自分たちのリソースを知り、学ぶ時間をとることができないならば、反対に訓練そのものを、そうした烏合の衆ともいえる、普通の市民を集めた形での訓練の在り方ややり方を開発することで、この訓練を受けたNPOや災害ボランティアが自分たちの組織や地域の訓練を企画したり、開催できる新たなリーダーづくりの研究を兼ねることができないでしょうか。
東日本大震災から7年、NPOの高齢化やメンバー交代は止められないのは間違いありません。ほとんどの災害ボランティア、自主防災組織の構成員は高齢者です。被災地での復興支援でも70歳台の方々がこの7年で現役を退くのを見てきました。私自身、すでにあの時の体力や行動ができない現実を感じています。
そこで今回のように、従来のNPOや経験者が少なくなる時期を考えて、再度、CFR(市民救助隊)訓練のような「実働体験型訓練」を中軸に据えての企画はどうでしょうか。
1日目はきちんとカリキュラムの「災害ボランティアとICS研修会」。2日目は連携確認のイメージトレーニングと熊丸隊長や鎌田教官などの指導の下にロールプレイング型の「市民救助隊養成訓練」を行うというアイデアです。
少し尻切れトンボですが、時間がないのでひとまず、今回の訓練での振り返りをもとに思いつくまま書いてきました。もし、第6回目のこのイベントがあるとすれば、この企画の準備を半年なり、1年かけて検討することがいいのではないかと提案して筆をおきます。(Y)