「ふくぼう」被災地巡り

さる8月7日・8日の一泊二日で戸田市の福祉で防災ネットワーク(ふくぼう)の障がい者、高齢者の皆様と、昨年鬼怒川決壊で被害の出た常総市を回り、津波被害の小名浜を訪IMG_9323ね、原発避難から帰村宣言をした福島県川内村の現在を巡る旅に出ました。

この団体は10年以上の活動歴を持ち、市内の福祉避難所での合宿体験や避難設備、防災備蓄の確認などの他に、各地域の避難所を巡りその地の社協や障がい者団体との意見交換を行ってきました。

※訪問の報告書を清水さんがまとめていますので、資料としてPDFで見られるようにしておきます。Microsoft Word – 東日本大震災被災地 纏め

前戸田市議会議長運転のマイクロバスに16名のメンバーと乗り込み、川内村宿泊。そこで2名合流して、福島県の6号線沿岸の復興状況などを視察することになりました。20150910173951poo@

初日の午前中は、茨城県常総市でゲリラ豪雨被害で河川が氾濫、避難指示が遅れた結果広範囲の災害となってしまった地域を回り、地理的条件が似ている戸田市での状況を話し合いました。

昼食を兼ねて小名浜港に立ち寄り、昼食後、以前は被災地を紹介していたディリー遊覧船ツアーに乗り込みましたが、基幹産業の要所である港湾はさすがに復旧復興が早く、災害の面影はほとんどありませんでした。

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夜は、避難解除後、いち早く営業を再開した蕎麦処「天山」で夕食。ここのご主人は商工会会長で村議でもあり、いち早く帰村宣言を出した村長と村の復興に尽力されてきた方です。

2日目は川内村の現状を回り、イワナ定食で昼食。わざわざ福島市から聴覚障碍者通訳の方に来ていただき、通訳だけでなく、偶然ですが、福島県内での聴覚障がい者支援事業の立ち上げや川内村での活動などもお聞きする機会を得ました。

当時、村では聴覚障がい者はいないという情報でしたが、奥地にたまたま帰村して独り暮らしの旧住民がいて、何の情報もなく震災後、村役場にきたときには村がもぬけの殻だったという話を伺い、一同驚きました。村人が誰もいない村内にたった1人という恐怖はいかばかりだったでしょう。その後、いまでも川内村に出入りして演劇指導などの活動を続けているそうですが、そのボランティア精神には頭が下がりました。

DSC_0205川内村の社協から秋本さんにお願いして、震災直後は事前の協定により隣接する大熊町からの村民の数倍以上の避難民の受け入れ地となった川内村が、落ち着く暇もなく今度は福島第二原発の爆発事故を受けて全村民とともども郡山をはじめ埼玉県などにも避難する側になるという貴重な体験談を聞かせていただきました。

 

帰りの6号線沿いには黒い袋の広大な平原が続いていました。

東京電力福島原発DSC_0222事故に伴う除染で 取り除いた表土や草木を入れた黒い袋が、福島県内の広い範囲で山積みされ、増え 続けている。ポリエチレンなどを素材にした「フレコンバッグ」と呼ばれる袋は、いつ最終処分されるのだろう。

今度、いつ河川の反乱で流出するか。二次被害が拡大しないことを祈ろう。まだまだ終わらない避難の現状をきっちりと共有できた旅でした。

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